はじめに:効率至上主義のその先へ
タイパ・コスパ、本当にそれだけで満足してる?
もし「人生の選択肢、どれか一つだけ選べ」と言われたら、多くの人が「タイパ」か「コスパ」を選ぶだろう。そう、僕らが生きる現代社会は、あらゆるものを効率と経済性で測るのが当たり前だ。動画は倍速で観て、料理は時短レシピ、移動は最短ルート。時間もお金も、いかに無駄なく、最大限の成果を出すか。それが、賢く生きるための金科玉条だったはずだ。
でも、最近、少しずつ違和感を感じ始めている人もいるんじゃないかな。
「この無駄のなさ、本当に心地いいんだっけ?」って。
特にZ世代と呼ばれる彼らの間では、一見すると非効率極まりない、むしろ「無駄」とさえ言えるような行動が、密かに、いや、堂々と流行の兆しを見せている。なぜ、彼らはこれまで避けられてきた「無駄な時間」に、あえてお金を払い、時間を費やし始めたのか。その裏には、僕たちがまだ気づいていない、もっと根源的な欲求が隠されているのかもしれない。
Z世代が「無駄」に投資する理由の核心
サブスク時代の「所有」と「探求」
僕の友人に、ユウキという23歳の男がいる。彼は根っからの音楽好きで、サブスクリプションサービスで最新のヒットチャートからマニアックなインディーズまで、あらゆるジャンルを聴き漁っている。それなのに、最近、妙なものにハマり始めたんだ。「レコード」だ。
最初は「なんで今さら?」って思った。だって、レコードって、まずプレーヤーが必要だし、盤は重いし、場所も取る。再生するたびに針を落とす手間もあるし、もちろんデジタルデータのように気軽に持ち運んでどこでも聴けるわけじゃない。究極の「タイパ・コスパの悪さ」と言っても過言じゃないだろう。
でも、ユウキは目を輝かせながら、こう語るんだ。「サブスクって、確かに便利なんだけど、なんか『消費してる』って感覚なんだよね。無限に選択肢があるから、逆に一つ一つに深く入り込めないっていうか。でもレコードは違うんだ。中古レコード店で、埃っぽい棚から一枚一枚、ジャケットのデザインとか、レーベルのロゴとか、裏側のライナーノーツとか、時間をかけて探す。ピンとくる一枚を見つけたときのあの高揚感。家に帰って、丁寧に盤をクリーニングして、針を落とす瞬間の緊張感。そして、スピーカーから流れてくる、ちょっとアナログな、温かい音。これって、もう音楽を聴いてるっていうより、一つの『儀式』なんだよ」
彼の話を聞いて、ハッとした。彼は単に音楽を聴いているわけじゃない。レコードを探す過程、手に取って触れる感触、店主との何気ない会話、そして針を落とす一連の動作。それらすべてが、彼にとっては「音楽体験」の一部なんだ。サブスクが提供する「効率的なアクセス」では決して得られない、手間と時間をかけたからこそ生まれる「深み」や「物語」を、彼は「無駄な時間」を払って買っている。それは、情報過多な現代において、自分だけの特別な「所有」と「探求」の喜びを求めている証拠なんじゃないか。
完璧じゃないからこそ、愛おしい「不便益」
もう一人、ミオという21歳の女の子の話をしよう。彼女は、スマホでサッと撮れる時代なのに、わざわざフィルムカメラを持ち歩いている。しかも、撮った写真をSNSに上げるわけでもなく、現像に出しては、その仕上がりに一喜一憂しているんだ。
「フィルムって、現像してみるまでどんな写真が撮れてるか分からないのが楽しいんだよね。ピントが甘かったり、光が入りすぎたり、思わぬ色味になったり。それが、むしろ『味』になるっていうか。スマホだと、撮った瞬間に確認して、気に入らなければすぐに消して撮り直せるじゃない? あれって、なんか完璧を求めすぎちゃって、結局、心に残らない写真ばっかりになる気がするんだ。でもフィルムは、一枚一枚が本当に貴重で、失敗も成功も全部ひっくるめて、その瞬間の『一期一会』なんだって思えるの」
ミオの言葉には、デジタル時代の「完璧主義」や「即時性」へのアンチテーゼが込められているように感じた。スマホのカメラが高性能化し、誰でも簡単に「完璧な写真」が撮れるようになった今、Z世代はあえて「不確実性」や「不完全さ」に価値を見出しているのかもしれない。現像を待つ間のワクワク感、失敗すらも愛おしく思える「不便益」。それは、効率や合理性だけでは測れない、人間らしい感情や感覚を呼び覚ます「無駄」の力なんだろう。
デジタル疲れが生む「アナログ回帰」の温かさ
SNSでいつでも誰とでも繋がれる時代に、あえて「手書き」にこだわる若者も増えている。僕の職場の後輩、タカシ(24歳)もその一人だ。彼は、仕事のプロジェクトで協力してくれた人や、プライベートで何かお世話になった人に、LINEやメールではなく、手書きのメッセージカードを送ることがある。
「もちろん、LINEで『ありがとうございました!』って送る方が早いし、相手もすぐに確認できるのは分かってます。でも、それだと、なんかすぐに流れていっちゃう気がして。手書きのメッセージって、書くのに時間も手間もかかるじゃないですか。便箋を選んで、ペンを握って、言葉を考えて、一文字ずつ丁寧に書いていく。その『手間』が、相手への気持ちの表れになるんじゃないかなって。送られた方も、たぶん捨てるまでに少しは目を通してくれると思うし、形に残るから、ふとした時にまた見返してくれるかもしれない。デジタルって便利だけど、なんか『軽すぎる』んですよね、色々と」
タカシの言葉は、現代社会のデジタル化の光と影を浮き彫りにしている。確かに、デジタルコミュニケーションは効率的で迅速だ。しかし、その手軽さゆえに、メッセージの「重み」や「温かさ」が失われがちだという感覚を、彼らは持ち合わせている。だからこそ、あえて時間をかけ、手間を惜しまず、アナログな手段を選ぶ。それは、単なるノスタルジーではなく、デジタル疲れからくる、より人間的で、より深い繋がりを求める根源的な欲求の表れなんじゃないだろうか。彼らは「無駄な時間」を費やすことで、失われつつある「人間らしさ」や「心の通い合い」を買い戻そうとしているのかもしれない。
Z世代が「無駄」に託す未来
効率のその先にある「意味」と「充足」
ユウキのレコード、ミオのフィルムカメラ、タカシの手書きメッセージ。彼らの行動を一つ一つ見ていくと、ある共通の糸が見えてくる。それは、単なる「無駄」を求めているわけではない、ということだ。彼らが求めているのは、効率やスピードだけでは決して得られない、もっと深遠な「意味」であり、「充足感」なんだ。
情報過多で、選択肢が無限に広がる現代において、僕たちは常に「最適解」を求められがちだ。しかし、あまりにも多くの情報と選択肢に囲まれると、人はかえって自分の軸を見失いやすくなる。何が本当に自分にとって大切なのか、何が自分を心から満たしてくれるのか、その感覚が麻痺してしまう。
Z世代が「無駄な時間」を買い始めたのは、この麻痺から脱却しようとする、本能的な防衛反応なのかもしれない。彼らは、あえて手間をかけ、時間を費やすことで、目の前の体験に意識を集中させ、五感を研ぎ澄ませている。レコードを探す手の感触、フィルムカメラのシャッター音、便箋にペンを走らせる指先の感覚。そうした一つ一つのプロセスが、彼らの内側に「これは自分にとって意味がある」という確かな手応えを生み出しているんだ。
「無駄」という言葉は、本来ネガティブな響きを持つ。でも、彼らにとっての「無駄」は、むしろ「余白」だ。スケジュール帳にびっしり書き込まれた予定の合間に、ふと訪れる空白の時間。デジタルな情報が洪水のように押し寄せる中で、あえてアナログな手法で感じる静謐なひととき。その「余白」こそが、創造性を育み、自分自身と向き合い、本当に大切なものを見つけるための聖域になっているんだ。彼らは、この「余白」に投資することで、心の豊かさ、そして何よりも「自分らしさ」を再構築しようとしている。
大人世代への問いかけ:僕らは何を失ってきたのか?
Z世代のこうした行動は、効率と合理性を追求してきた僕たち大人世代への、静かな、しかし確固たる問いかけでもあるように思う。僕たちは、これまでどれだけの「無駄」を切り捨ててきただろうか?
「そんなことやってる時間があったら、もっと有意義なことに使え」
「もっと効率的な方法があるのに、なぜわざわざ手間をかけるんだ」
そう言って、多くのものごとから「手間」や「時間」という名の「無駄」を排除してきた。その結果、確かに僕たちの生活は便利になり、生産性は向上した。でも、その引き換えに、何か大切なものを失ってこなかっただろうか?
一枚一枚レコードをひっくり返して見つけた時の喜び。
現像を待つ間の、期待と不安が入り混じった高揚感。
手書きのメッセージを受け取った時の、じんわりと心に広がる温かさ。
僕たちが「非効率」として切り捨ててきたものの中には、実は人間らしい感情や、他者との深い繋がりを育むための「栄養」が詰まっていたのかもしれない。デジタルデトックスやスローライフといったムーブメントが、近年大人世代の間でも注目されているのは、まさに僕たちが失ってきたものへの、無意識の渇望の表れではないだろうか。Z世代は、僕たちが忘れかけていた、あるいは見過ごしてきた「価値」を、最先端の感性で再発見し、新しい形で提示してくれているんだ。
まとめ:Z世代の「無駄」は、新しい価値観の灯台
彼らが「無駄な時間」を買い始めた本当の理由。それは、効率至上主義がもたらす均質化された世界から、自分だけの「物語」や「深み」を求めて脱出すること。そして、情報過多な時代だからこそ、あえて立ち止まり、手間をかけることで、自分自身の内面と深く繋がり、真の充足感を得ること。
Z世代の行動は、単なる一過性のトレンドではない。それは、現代社会が抱える課題に対する、彼らなりのアンサーであり、これからの時代の新しい価値観を示す「灯台」なのかもしれない。
彼らの「無駄」は、決して無意味ではない。むしろ、それは僕たちがこれから生きていく上で、本当に大切なものが何かを教えてくれる、貴重なヒントに満ちている。
さあ、あなたも一度、立ち止まって考えてみてはどうだろう。
あなたの日常から切り捨ててきた「無駄」の中に、もしかしたら、本当の豊かさが隠されているのかもしれない。
少しだけ、効率やコスパの呪縛から解放されて、あえて「無駄」な時間の中に身を置いてみたら、新しい発見があるかもしれない。
その「無駄」が、きっとあなたの心を、これまで以上に満たしてくれるはずだから。

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